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小論文で「私は」と書いてよいか|学術的な文章の一人称の研究

最終更新:2026-10-30

小論文の「私は」を残すと幼く見えるのか、消したほうがよいのかは、書き出しで手が止まる原因の一つです。「私は」は一律に消す対象ではなく、設問の指示に沿って、自分の主張や考えた筋道を示すために使う言葉です。気にしたいのは、その後に理由のある主張が続くのか、体験の紹介だけで終わるのかという文章の中身です。

資料の年度:2026/確認日:2026-10-30

小論文の「私は」を残すと幼く見えるのか、消したほうがよいのかは、書き出しで手が止まる原因の一つです。「私は」は一律に消す対象ではなく、設問の指示に沿って、自分の主張や考えた筋道を示すために使う言葉です。気にしたいのは、その後に理由のある主張が続くのか、体験の紹介だけで終わるのかという文章の中身です。

一人称とは、話し手や書き手が自分を指す「私」などの言葉です。「私は賛成だ」と書く文と、「私はその出来事に驚いた」と書く文では、同じ言葉で始まっていても伝える内容が変わります。前者は議論に対する立場を表し、後者は経験したときの気持ちを伝えています。「私」を数えるだけでは、答案がどんな説明をしているかまでは見えてきません。

総合型選抜や学校推薦型選抜の小論文でも、設問には、考えを述べる、課題文を説明する、具体例を挙げるといった要求があります。文章を硬く見せるために主語を削ることに気を取られると、誰の判断なのかが曖昧になる場合もあります。英語の学術的な文章を扱った研究を手掛かりに、言葉の見た目ではなく、文が果たす役割から考えます。

小論文の一人称は設問の要求から考える

「あなたの考えを述べよ」という設問は、書き手自身の判断を求めていますが、すべての文を「私は」で始めるよう求めているわけではありません。「具体例を挙げて」という指示では、例が主張のどの部分を説明するかが問題になります。また、「客観的に論じよ」という言葉は、個人の好き嫌いだけで結論を支えず、読み手も検討できる理由や材料によって論じる要求として読めます。一人称についての明示的な指定がある場合には、その指定が答案の条件になります。

たとえば、「私はこの制度に賛成だ」と「この制度に賛成だ」は、どちらも書き手の立場を表す文です。「私は」を消しても、賛成する理由や制度の効果を示す説明が増えるわけではありません。一方、「私は困った」と書けば、それは書き手が経験したことの報告になり、社会全体が困っているという主張とは扱う範囲が変わります。言葉を削った後に誰についての文になったかという点も、一人称を考えるうえで大切です。

日本の大学 1 年生の英語の議論文を扱った MacIntyre の研究は、文章を集めた資料から人称代名詞の使い方を調べました。多くの学術的な文章の教科書や手引きが人称代名詞を勧めないことを問題として取り上げ、使い方を教える指導の案を示しています。[1] この問題提起は、「私」を見つけたら削るという扱いから、使う目的を説明する扱いへ視点を移します。ただし、ここで引く研究には日本語の小論文や、一人称を採点者がどう評価するかを直接調べたものはなく、「私は」で点が上下するという結論は出せません。

「私」が示す立場と文章の働き

Tang らは、シンガポールの大学 1 年生 27 人の学術的なエッセイを、一人称の背後にある書き手の役割を 6 種類に分けて調べました。一人称は、学術的な文章の中で一つの働きにまとめられるものではないと論じています。[2] ここで注目したいのは、同じ語があることより、その文で書き手が何を伝えているかです。自分の立場を示す文も、考えが変わった経緯を説明する文も、形の上では「私は」から始められます。

Beerits は、大学の文学の授業で書かれた 160 本のレポートを調べ、一人称の文を「一般的な主張」「考える過程の説明」「個人的な主張」の 3 つに分けました。一人称を含む文がすべて個人的な話になるわけではなく、種類によって働きがあるという分析です。[3] これは、「私」が入ると文章全体が感想になる、という見方を考え直す材料になります。次の表は研究の原文の例ではなく、その視点を使って日本語の文の役割を説明したものです。

Beerits は、大学の文学の授業で書かれた 160 本のレポートを調べ、一人称の文を「一般的な主張」「考える過程の説明」「個人的な主張」の 3 つに分けました
文の例主に伝えていること論じるうえで関係する内容
私は、この制度の対象を広げるべきだと考える提案に対する立場対象を広げる理由と条件
私は、資料を比べた結果、当初の見方を改めた考える過程どの材料が判断を変えたか
私は、この制度を利用した際に困った自分の体験困った状況と議論とのつながり

書き手の立場が見えることと、私生活の出来事が中心になることは、一人称の分析では同じ扱いになりません。Beerits の分類でも、一般的な主張と個人的な主張が設けられています。[3] たとえば、制度の対象を広げる提案は自分の意見であっても、その理由を他者が検討できる形で述べられます。反対に、「必要だ」と主語を省いても、必要だとする根拠が自分の好みだけなら、説明の範囲は狭いままです。

体験を語る文から議論へつなぐ

Wang は、第二言語として英語で書く大学 1 年生の議論のレポート 126 本を調べました。学生は刊行された論文の書き手より自分に言及する回数が多く、一人称の「私」のほぼ半分は、個人的な体験を語る役割を果たしていました。[4] そのため、議論のレポートが体験談の調子になっていたと捉えられています。「私」があるかどうかに加え、体験を語る文が文章の中でどれだけ続くかという見方がここから得られます。

たとえば、説明を読んでも手続きが進められなかった体験を書くとき、「困った」「戸惑った」「不安だった」が続けば、その人の気持ちは伝わります。けれども、手続きの案内を改善すべきだと論じるなら、どの説明が足りず、どんな人が同じところで困りそうかという内容が関係します。自分の体験は問題に気づくきっかけにも、主張を具体的に示す材料にもなります。その際、個人の経験から社会全体へ話を広げる範囲が、文章の説得力を考える焦点になります。

具体的な行動の一つは、体験談の「私」が続く段落に、体験から何が言えるかを 1 文足すことです。手続きの例なら、「この経験は、必要な情報が書かれていても、利用者が必要な順番で見つけられるとは限らないことを示している」というつなぎ方が考えられます。これは体験を議論の材料にするための書き方の例で、すべての利用者についての証明として扱う文ではありません。Wang の研究では、同じ学生でも議論のレポートではほかの種類の文章より自分への言及が少なく、文章の種類によって使い方が変わっていました。[4]

控えめな言い方と自分の判断の置き場所

「私の考えでは」と前置きしたくなるのは、自分の意見を押しつけたくないときにも起こります。しかし、「私にはよくわからないが」「あくまで私の意見にすぎないが」と書き始めると、主張の内容より書き手の自信の程度が先に伝わります。たとえば、根拠となる資料を示した後でも、自分を小さく見せる前置きが長ければ、何を判断した文なのかが読み取りにくくなります。礼儀正しく見せることを優先するあまり、考えた結果を曖昧にする場合です。

Thonney は、学部のさまざまな分野の授業で学生が書いたレポートの一人称を調べました。学生は促されると、専門家のように一人称で自分の立場を示す使い方をまねていましたが、同じくらいの頻度で、自信のなさや読み手より自分の立場が低いことを示すためにも使っていました。[5] この結果では、同じ一人称が、立場を表すためにも引っ込めるためにも使われています。したがって、「私は」を加えること自体が、主張を明確にする方法になるわけではありません。

もっとも、材料の範囲を正確に表す控えめな言い方まで、すべて消すという話ではありません。「この資料の範囲では」と書く文は、書き手の自信を語るのではなく、判断に用いた材料の範囲を伝えます。「私は専門家ではないが」と前置きする文は、書き手自身の位置を説明しています。Thonney が示した一人称の使い方の幅は、慎重な表現を読むときにも、何について慎重なのかを捉える手掛かりになります。[5]

自分の立場を書く難しさと、指示が求める範囲

Pittam らは、心理学を学ぶ大学生 19 人の話し合いと 318 人の質問紙から、書き手としての自分をどう捉えているかを調べました。著者としての自分という考えは学生にほとんどなじみがなく、大学の課題で自分の立場を打ち出すことに壁を感じていました。[6] この結果は、使ってよい語を教えるだけでは、自分の判断を文章のどこに置くかという迷いが残ることを考える材料です。「意見を堂々と書く」と言われても、その意見をどこまで広げてよいかは、別に考える必要があります。

ここで、考える過程や体験を語ることが向かない課題にも目を向けます。たとえば、課題文の内容を説明するよう求められた部分に、筆者への賛否や自分の思い出が多く入ると、求められた説明を置く場所が減ります。また、考えが変化した経緯を長く語ると、現在の主張を支える理由が後ろに押しやられます。立場を打ち出すとは、設問のどの部分でも自分の話を増やすことではなく、自分の判断を求められたところで、その判断を示すことです。

もう一つの行動は、設問文、注意事項、解答用紙の指示を読み、「自分の考えを述べよ」「客観的に論じよ」など、一人称にかかわる要求があるかを確かめることです。設問文は何に答えるか、注意事項は答案全体の条件、解答用紙の指示は各欄に記す内容を捉える手掛かりになります。「あなたの経験を踏まえ」とあれば経験の位置づけが生まれ、「本文に即して説明」とあれば説明の中心は本文になります。Pittam らが示した立場を打ち出す難しさを踏まえると、要求が具体的に見えることには、意見を書く場所を定める意味があります。[6]

一人称を残すかどうかを決める前の見直し

小論文の練習で主語を直すときには、どこを直せば説明が進むのかが問題になります。「私は」を「本稿では」に置き換えるだけでは、文の後半が体験談のままなのか、理由を伴う主張になったのかは変わりません。また、主語が省かれた文にも、個人的な感想や自分の判断は含まれます。「私」が見当たらない文章だから客観的だ、と扱うと、根拠のない言い切りが見過ごされることになります。

一方で、すでに立場と理由が伝わっている段落では、毎文に書き手を登場させる必要もありません。「私は対象を広げるべきだと考える」に続けて、制度が届いていない人の状況や、対象を広げる条件を述べれば、話の中心は自然に提案の中身へ移ります。考える過程を述べる場合も、何に着目して判断が変わったかが文の中心です。Beerits が一般的な主張、考える過程、個人的な主張を分けた視点は、こうした文のつながりを捉える助けになります。[3]

出願までの練習で最初に着手するのは、自室の机で、自分の答案の「私」に印を付け、横に主張・考える過程・体験談のどれかを書く作業です。この整理では、使った回数の多さをよしあしの基準にせず、それぞれの文がしている仕事を見ます。主張の文なら後ろに続く理由、考える過程なら判断を変えた材料、体験談なら論点とのつながりが、読み取る対象になります。まず答案にある「私」の役割を言葉にするところから、一律に消すか残すかという迷いをほどいていきます。

よくある質問

「筆者は」「本文では」と「私は」を同じ答案で混ぜてよいか

課題文の説明と自分の考えを含む答案では、両方が登場することには意味があります。「筆者は」は課題文を書いた人の主張を指し、「私は」は答案を書く人の判断を指すため、誰の考えかを明示する働きがあります。ただし、「筆者」が答案の書き手自身を指すようにも読める使い方は、発言の出どころを曖昧にします。「本文では」と始めた説明の途中から、自分の評価が課題文の内容として混ざると、主語があっても混同は起こります。

「僕」や「自分は」はどう扱われるか

一般的な文章表現として、「僕」には話し言葉に近い響きがあり、「私」は改まった場面でも用いられる呼び方です。「自分は」は、前の文の人物を受けるのか書き手を指すのかが、文脈によって曖昧になることがあります。ただ、呼び方の印象だけで個々の答案の点を決める説明にはなりません。小論文の文体を整える観点では、自分を指す呼び方が途中で変わると、内容とは関係のない揺れを読み手に意識させる点が問題になります。

英語で書く小論文でも同じか

取り上げた研究は英語の文章を中心としており、一人称が担う役割を考える材料になります。とくに MacIntyre は日本の大学 1 年生の英語の議論文を扱い、使い方を教える指導の案を示しています。[1] ただし、英語では文法上の主語が必要な文もあり、日本語の「私は」を省く操作と、そのまま対応するわけではありません。日本語の答案から一人称を削る感覚で英語の主語を落とすと、論じ方以前に文としての形が崩れる場合があります。

この記事の限界

比較の対象は大学生の授業内の文章や書き手の意識が中心で、少人数の分析を含み、日本の年内入試で一人称の有無による採点差を比べた研究は含まれていません。1999 年から 2019 年までの英語の文章を中心とする知見であり、日本やシンガポールの大学生を扱う研究も、現在の日本語の受験答案を代表するものとしては扱えません。

募集要項や解答上の指示は年度ごとに変わるため、実際の答案には、志望する方式の最新の要項と大学が出す発表が優先します。ここで示した文章の役割の捉え方は、個別の出願や答案の採否を決める基準ではなく、自分の文章を検討するための手掛かりです。

参考文献

  1. MacIntyre. The Use of Personal Pronouns in the Writing of Argumentative Essays by EFL Writers. RELC Journal. 2019;50(1):6-19.
  2. Tang ほか. The "I" in Identity: Exploring Writer Identity in Student Academic Writing through the First Person Pronoun. English for Specific Purposes. 1999;18:S23-S39.
  3. Beerits. Understanding "I": The Rhetorical Variety of Self-References in College Literature Papers. College Composition and Communication. 2016;67(4):550-575.
  4. Wang. Carving out a Dialogic Space for "I": A Corpus-Based Study of Novice L2 College Writers' Use of First-Person Pronouns in Argumentative Essays. L2 Journal. 2019;11(1).
  5. Thonney. "At First I Thought… but I Don't Know for Sure": The Use of First Person Pronouns in the Academic Writing of Novices. Across the Disciplines. 2013;10(1):1-16.
  6. Pittam ほか. Student Beliefs and Attitudes about Authorial Identity in Academic Writing. Studies in Higher Education. 2009;34(2):153-170.

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よくある質問

「筆者は」「本文では」と「私は」を同じ答案で混ぜてよいか

課題文の説明と自分の考えを含む答案では、両方が登場することには意味があります。「筆者は」は課題文を書いた人の主張を指し、「私は」は答案を書く人の判断を指すため、誰の考えかを明示する働きがあります。ただし、「筆者」が答案の書き手自身を指すようにも読める使い方は、発言の出どころを曖昧にします。「本文では」と始めた説明の途中から、自分の評価が課題文の内容として混ざると、主語があっても混同は起こります。

「僕」や「自分は」はどう扱われるか

一般的な文章表現として、「僕」には話し言葉に近い響きがあり、「私」は改まった場面でも用いられる呼び方です。「自分は」は、前の文の人物を受けるのか書き手を指すのかが、文脈によって曖昧になることがあります。ただ、呼び方の印象だけで個々の答案の点を決める説明にはなりません。小論文の文体を整える観点では、自分を指す呼び方が途中で変わると、内容とは関係のない揺れを読み手に意識させる点が問題になります。

英語で書く小論文でも同じか

取り上げた研究は英語の文章を中心としており、一人称が担う役割を考える材料になります。とくに MacIntyre は日本の大学 1 年生の英語の議論文を扱い、使い方を教える指導の案を示しています。[1] ただし、英語では文法上の主語が必要な文もあり、日本語の「私は」を省く操作と、そのまま対応するわけではありません。日本語の答案から一人称を削る感覚で英語の主語を落とすと、論じ方以前に文としての形が崩れる場合があります。